大人のオタクがオタク特有のクソデカ構文で読書感想文を書いてみた
何だかTLで読書感想文の是非とか意義とか、そういうのが話題になってました。
読書感想文が好きだった、嫌いだった、意味がある、無いエトセトラ……
は、どうでもいいんですけど、その話題見てたら読書感想文書きたくなったので書きました。
宿題でもなければ先生に見せる訳でも無いので、
オタクのクソデカ構文満載で、好き勝手に書きました。後そのクソデカ構文を元にして逆に凄いちゃんとした読書感想文も書いた。
ら、滅茶苦茶楽しかったのでここに記録がてら公開します。
暇で暇でしょうがない人だけ読んで下さいね。
「全人類これを読め」 三年B組 湯本ボイラー
まあ多分全人類読んでるとは思うんだけど、全人類にあと百回は読んで欲しい本の話します。
銀河鉄道の夜っていうんですけど。
もうタイトルからしてエモの気配がヤバいじゃん。
銀河鉄道。銀河に鉄道を走らせようって思ったのがまず天才。
普通に夜に外歩いてて、「お、夜空綺麗!あそこ行けたらなあ~」とは思っても、
「よっしゃ、鉄道走らせたろ!」とは思わなくない?
いや私は銀河鉄道の夜を >>知ってる<< 世界の人間だから、夜空見たら「鉄道走ってるかな~」って思うけど、無の状態でまず走らせないでしょ。せいぜい夜空を飛ぶくらいの発想で終わるでしょ。
でも鉄道なのがエモなんよな。分かるよ。鉄道と線路ってなんであんなエモシルエットしてるんだろうね。
それでさ、まあ最初よ。学校の授業シーン。
出てくる最初の名前が主人公の親友であるカムパネルラ。
カムパネルラ!?!?!
既にもう名前が格好いい。超格好いい。
カンパネルラだったらまだ言いやすいけど、このムがさ……絶妙に意識しないと発声できなくてさ……凄い何回も声に出したくなるのよな。
カムパネルラ。
カムパネルラ!
こんな名前どこ探したら思いつくのかこれも全然分からん。名前辞典のどこ探しても無いでしょカムパネルラ。この世のものでは無い感じが凄い。
これに比べたら主人公のジョバンニはね。まあジャパンにはおらんけど、フランスあたりにはいるんじゃない?って気がする。
というかそもそもこのカムパネルラって何か名前の由来とかあるのか?
って思って調べたら、トンマーゾ・カンパネッラっていう哲学者からきてるのね。へえーーーーーー実在したんか。じゃあ名前辞典に載ってるわな。世界広い。
っていうかこのトンマーゾ・カンパネッラっの名前、
正式には「ジョバン・ドメーニコ・カンパネッラ」って、、、、、、????
ジョバンニとカムパネルラやんけ!?!?
二人は魂の同一存在であるということが……?
こんなところでもう判明してしまう……?
まだこちとら冒頭一ページ目なんだが……?????
ていうかなんかこの授業シーンがさ……先生が滅茶苦茶エモいこと言ってるのは分かるんだけど、それよりもジョバンニとカムパネルラの態度が、あまりにもわかりみ深くてなんか泣けてくるんですよね。
「自分は先生の質問の答えを確かに知っている筈なのに、何かが漠然と不安でどうしても自信を持てない」ジョバンニと、
「そんな友達に遠慮して、知っているのに答えられない」カムパネルラ。
そういう瞬間、マジで人生であるじゃん。
みんなあるでしょ!?!?!(クソデカ主語)
あれ何なんだろうね。
間違ってても良いとか、分かっているなら自信を持って答えなさいとか、遠慮をするのは優しさじゃないとか、分かってるんだけど、でも何かが喉につっかえて全然うまく喋れない時あるじゃん。
間違えたくないのかなあ。というより、間違えた結果、何が起こってしまうのか考えるのが嫌なのかな。
だって人生に正解なんか無いけど正しくいたいよ。なるべく間違えたくないし、×より〇もらいたいじゃん。
そういう……なんか……そういう感じ……。凄い序盤の些細なシーンではあるのだけど、なんていうか滅茶苦茶……染みるのよな……。
いやでもなんていうか、内容もさることながら、単語の一つ一つがめちゃにエモエモなんですよね。
章タイトルのケンタウルス祭の夜とか銀河ステーションとかもそうだし、
「まるで億万の蛍烏賊の火を一ぺんに化石させて、そら中に沈めたという具合」
とかいう比喩も凄い。
正直、比喩が息苦しいぐらい詰め込まれてて、お腹いっぱいっていうか、想像力の限界超えるっていうか、無理やり宝石を飲み込まされてるような気さえする。
凄いよ。世界観をくらえ!!!!!!って感じ。
美しさは暴力ってこういう意味なんだなって……。
このペースで語ってると字数が一万字近くなってしまいそうだし、現状既に1500字を超えてて、原稿用紙4枚になってる。ウケる。
え?てかマジでジョバンニもカムパネルラも鉄道に乗る気配すら無いんだが?銀河鉄道の夜なのに?
もう終わる気配が無いので、いじめっこのくだりとか、病気のお母さんのくだりとかそのへん割愛します。っていうかもうなんなら鉄道に乗ってからのことも割愛します。
読んでくれ。読めばわかる。読むんだよ!!!!
正直、道徳とか宗教的な善の話みたいな部分がかなり多くて、そのへん説教臭いな~~~って人によっては思うかもしれないけど、まあ実際宮沢賢治ってかなり宗教的に敬虔な人だからそりゃそーだって感じなんよな。あの有名な雨ニモ負ケズだって、最後の方はひたすらお経が書かれてるんだし……。
でもそういう宗教的道徳的要素を排除しても普通にワクワクするんですよね。
燐光の海!砂糖でできた白鷺!きらきらと燃えるとうもろこし!
私の手の届かない夜空には、そんなものが一面に広がっている!見たいな~~~。
っていうかこの記事読んでる人、ネタバレokなタイプですか?
まあ全人類読んでると思うので気にする必要は無いと思うのですが一応ね?
一応、ネタバレ注意って言っておきますけど。いいですか?
最後、カムパネルラ死ぬじゃないですか。
いや分かるよ。分かる。
それまでの鉄道内での会話で、明らかタイタニックで他の子どもに避難ボート譲って死んだ子供たちとか出てくるし、皆途中の南十字星(完全に十字架ですね)に向かって祈るし、
カムパネルラにいたっては序盤で
「僕のことをお母さんは許してくれるだろうか」
「僕はお母さんの本当のさいわいのためならどうなったってかまわない」
「僕が誰かを助けることはきっとお母さんの本当のさいわいになるだろう」
みたいなこと滅茶苦茶言ってるからさ。
死亡フラグっていうか、死亡してますフラグはビンビンに立ってた。
分かってた。カムパネルラ、そりゃ死んでるよ。
誰かのために死んでるからこの鉄道に乗ってるよ。なんでジョバンニ逆に死んで無いの?ってくらいこの鉄道の人みんな死んどるがな。
銀河鉄道の夜が物語として美しいのは、間違いなくこのカムパネルラの死によるものだとは思います。
最後に二人が「あー!銀河の旅おもしろかったー!」っつって終わるんだったら、多分これは童話にはなっても文学作品として世には残らなかったのでは?こっちも「良かったね!」って感じだし……。
誰かにとっての本当の幸いのために命を投げ出すって、一種の人間賛歌というか、性善説というか……取り合えず美しく善なるものじゃないですか。
だからまた道徳の話に戻っちゃうんですけど、
この話を読んで、「だからみんなも誰かの本当の幸福のために尽くせる人間になろうね!」みたいな結論に持っていくやつ、マジでやめてほしい。
いやそういう感想になることは間違いじゃないし、なんならもしかしたら宮沢賢治もそういう気持ちで書いたのかもしれないけど、いや知らんけど、でもそんなん言われたら、
うるせーーー!!!俺の幸福は俺が決める!!!誰かの幸いのために尽くしたら自分も幸福だなんて言ってられっか!!!!
って思いませんか?少なくとも初めてこれを読んだ時の幼い私はそう思いました。そうやって大人は善になれ善になれって押し付けてきやがる!!!黙れ!!!どうせこの世は♰闇♰強い者が勝つ……って鬼反発してた記憶、あります。
同じように「ほんとうのさいわい」を探すために、どこまでも一緒に行こうねえと約束をした二人が、最後カムパネルラが死に、ジョバンニが一人地上に残されて、魂の双子が離別する描写は本当に美しいですが、
いやでも実際カムパネルラのお母さんは幸せなん?
ジョバンニは生きていて、ずっと待っていたお父さんとようやく会えるフラグが立って終わりますが、それは幸福じゃないん?そんなはずないよな?
だから私が思うに、カムパネルラの死は、物語としての美しさのための死であって、現実世界にそのルールを押し付けるのは間違ってると思うんですよ。
本当の幸いって人それぞれやん????自己犠牲が全てじゃないやん????
私は家で引きこもってオタクしてるのが最高に楽しいけど、外で遊ぶのが何より卍最高って人もおるやん。マジで。お前は森で、俺はタタラ場で生きよう。
だからもしもこの本を道徳的に解釈するなら、我々がカムパネルラから学ぶべきは、他人の幸福のための死ではなく、
「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸になるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだろう」
って悩む姿だと思うんですよね。
自分の幸いは、他人の幸いじゃないかもしれない。そして加えて、「自分が本当に幸になるのはどういう時だろう」って考え。
さらに踏み込むなら、「自分の幸せと他人の幸せが相いれない時はどうするか?」。
いや言っちゃうけど、多分ね、カムパネルラのお母さんは生きててほしかったと思うよ。カムパネルラに。
でもいじめっこのザネリが助かったの、ザネリのお母さんは嬉しかっただろうな。
だから本当の幸いって難しいと思います。私には分からない。私には分からないけど、幸せにはなりたい。
幸せになりたい!!!!!!
百兆円欲しい!!!!!!
でもそもそも、この本を楽しむのに、そんな風に道徳的に解釈する必要あるのか?って私は思います。
私が思う銀河鉄道の夜の最高な所は、銀河に鉄道を走らせようとしたことなんです。
銀河には白鷺が銀色に飛んでいて、あちこちのすすきがサラサラ鳴って、燐光が光る海で波が打ち寄せ、宝石を巻き散らしたみたいな砂浜がぎらぎらと輝いている。
最高。マジで最高にエモい。エモエモの塊。
正直道徳とか置いといて、この景色を永遠に見ていたい。
読書をする時に、何らかの思想を得なくちゃいけないなんて誰が決めたんですか?
綺麗な海が見たいから沖縄に行くみたいに、美しい夜空を見たいから私は銀河鉄道の夜を読みます。そしてこの美しい夜空を共有したいので、全人類銀河鉄道の夜を読んでほしい。
一緒に「綺麗な空だね!」って言える人がいるの、まず間違いなく幸せなことなので。
(総文字数4062字/原稿用紙約10枚)
書くの楽しかったけどアホアホでしたね。大人ってアホ。
今度は逆に(?)上の文章を学生の読書感想文っぽく加工してみようと思います。
なお私の学校では、読書感想文か、或いは自分で小説を書くかが選べたため、
毎回自分で小説を書いていた私は、実は読書感想文の経験がありません。
ヤバイ。読書感想文らしさが分からない。イマジナリー読書感想文じゃん。
2000字以内でしたっけ?実際に原稿用紙に書いたら改行とか発生して書ける文字数はもっと減ると思うので、1600字目安で書いてみます。
『銀河鉄道の夜』を読んで 三年五組 湯本ボイラー
『銀河鉄道の夜』というタイトルが好きだ。夜空を見上げた時、そこに鉄道が走っていると思うだけでワクワクした気持ちになる。銀河を走る鉄道から見える景色はどんなものだろう。ページを開く前から楽しみだった。
登場するのは主人公のジョバンニと、その親友カムパネルラ。この名前も耳慣れなくて、目にした時には少しドキッとした。まるで幻想世界の住人を覗き見ているような気持になる。
けれど、物語の中で二人の姿を追っている内、彼らは決して幻のような存在では無く、自分自身に通じる所があるように思えた。
特に最初の授業のシーン、ジョバンニが、銀河の構成要素は星だと、答えが分かっているのに手を挙げられないのを見て、なんだか自分を見ているように感じた。私も答えが分かっているのに授業中に手を挙げられないことがしょっちゅうある。
それは間違えたら恥ずかしいだとか、目立ちたくないだとか、友達の目が気になるからだとか、色んな理由があるからだ。だからこそ、この物語のジョバンニという主人公は特別ではない、私と同じ存在なのだ、と思った。
そうして、幻想世界の住人ではない、私と同じ、ただのジョバンニとカムパネルラは、いじめっこ達にからかわれたりしながら星祭りの夜を迎える。そして、銀河鉄道に乗る。だから私も、銀河鉄道に乗ったのだ。彼らと一緒に。
銀河鉄道から見える景色は、色鮮やかで、きらきらしていて、素晴らしいものだった。燐光の海、砂糖でできた白鷺、赤く燃えるとうもろこし。彼らを通して、私は美しい銀河の夜を見ることが出来る。
そしてそれと同時に、「本当の幸い」というものを、私は彼らと一緒に考えることになる。
銀河鉄道の夜の最後は、カムパネルラの死だ。彼は母の本当の幸いを願っているけれど、いじめっこであるザネリが川で溺れているのを助けて死ぬのだ。そのことを彼は「誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ」と言う。
自分には、カムパネリラの言っていることが、分かるような気もするし、分からないような気もする。
確かにカムパネルラは正しいことをした。本当に良いことをしたのだろう。けれど、カムパネルラが死んで、ジョバンニは悲しくなかっただろうか。間違いなく悲しかっただろうと思う。カムパネルラのお母さんだって、そうだ。
例えどれだけ良いことだったとしても、親友が、自分の子供が死んで悲しくない人がいるだろうか。自分の子供が犠牲になって、他の人の子供が助かって、ああ良かったと心の底から言えるだろうか。
もしかしたら、本当に良い人は、言えるのかもしれない。けれど私は、ジョバンニとカムパネルラと一緒に銀河鉄道を旅していた私は悲しかった。
本当に良いことは、悲しいことも同時に引き起こすことがあるのだ。そして自分にとっての幸せが、他人にとっての幸せとは限らない。
銀河鉄道の夜を読んで、私はそのことに気が付いた。誰かの本当の幸いを願うことは美しく大切なことだけれど、幸せの形は人それぞれ違うのだ。そこに正解は無いし、もしかしたら私の幸せは誰かを悲しませるかもしれない。
ジョバンニとカムパネルラが教えてくれたのは、「本当の幸い」そのものではなく、「本当の幸いとは何か」を考える姿勢なのだと思う。
これから先、私はきっと、夜空を見上げるたびに、そこに走る鉄道を思う。
白鷺が銀色に飛んでいて、あちこちのすすきがサラサラ鳴って、燐光が光る海で波が打ち寄せ、宝石を巻き散らしたみたいな砂浜が広がっている、美しい景色だ。
そうして二人の少年が、本当の幸いを考えて首を傾げている。そこでは私も二人の少年と一緒に首を傾げている。
本当の幸いを探す旅は続く。これからの私の人生でずっと考え続けることになるのだろう。それを考えられることが、最初の幸せなのかもしれない。
(総文字数1552字/原稿用紙約4枚)
ということで、大人の読書感想文でした!たのしかったーーーーー!!!